予備校時代

      2016/04/05

自分史に予備校時代を入れるのも珍しいかもしれない。でも、予備校時代はホントに勉強した。そしてそれが結果として表れたという意味で、自分の人生に大きな影響を与えた1年だった。

そんな理由だったら、ここに取り上げるでもない。ちゃんと取り上げる理由はある。それは、「国語」に対する毛嫌いが解消されたこと。

小学校、中学校くらいは、漢字を知っていたり、何となくの勢いで答えて、それで合っていたけれど、いざ大学受験となるとそうもいかない。「論理的理解力」が求めらる。
でも自分の国語力はそこで躓いていた。おそらく多くの国語嫌いの人と同様、「国語なんてのは、100人いれば100通りの理解がある」という言い訳の前に、バカの壁がそそり立っていた。

でも、そうではないということを、代ゼミの堀木先生が教えてくれた。

「国語は数学と同じだ」

という発想で、教えてくれた。

「ある部分の答えは、文章の中に必ずある」
「裏返していえば、文章の中に答えのない問題は、絶対に作れない」

そう明確に教えてくれ、さらに推薦していた、一見難しそうな国語のテキスト(「新釈 現代文 」(ちくま学芸文庫))を読み解いてくれたことで、一気に国語が簡単に思えるようになった。

そして何より、今こうして、文章を書くのが苦にならないというのは、あの時の堀木先生の教えがあったから。

「国語は数学と同じ」

を、私なりに解釈した結果

「数学の方程式を作るように文章を書けばいい」

ということがわかったことが大きかった。

「1+1=2」みたいな文章だったら小学生でもわかる。でも、それでは大人には認められない。かといって、難解な微分方程式みたいな文章を書いても、誰にも理解されない。理解されない文章ほど、寂しいものはない。文章を書くのも、芸術的作業の1つ。どんな短文でもパワーはかかっている。それが誰にも読まれないのはツラい。

ちょっと難しい数式を解いた時と同じような快感が得られるような文章。そういう文を書くことがポイントなのでは。一見平易そうに見えて、でもよく読むと、「?」というポイントがある。そこでもう1回読んでみると、だんだんわかってきて、さらにもう1回読むと、「!」と理解に至る。自分はそう思って、文章を書いている。

堀木先生は自分が大学生の頃に、体調を崩され、亡くなったとの噂もあった。堀木先生には大学受験のためだけではなく、その後の「文章を書く面白さ」を教えてくれた意味でも、心から感謝している。

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