高等学校時代

      2017/11/22

我々の世代の高校生といえば、昨今の「ゆとり世代」と真逆の、いわゆる「つめこみ世代」。でも、当人たちは詰め込まれているなんて、全然思ってもいなかった。だって、それ以外経験していないんだからわかりようがない。

私は、あの頃の学歴社会を否定しない。なぜなら、甲子園で全国優勝する価値と、模擬試験で全国1位になる価値が同じだと思っているから。
いや、それだけではない。もし中学校を卒業して、大工になり、その世界では若くして棟梁になったりするヤツがいても、それもまた同じ価値。日比谷高校から東大に入り、大蔵省に入ることがエライのではなく、自分がコレと決めた分野で、日本一(か、それに等しい価値のもの)になれたヤツが凄いのだと思っている。

で、その「学歴甲子園」の荒波の中で、私はもう県予選でいっぱいいっぱいだった。これが学歴社会の恐ろしいところ。

正直いって、東大卒でなくとも、早稲田、慶応、上智あたりに入れる学力のあるヤツなら、小学校時代は学年でも秀才だったはず。私もそうだった。でも、中学校で、隣町の小学校のヤツらと一緒になり、徐々に順位が下がり、さらに広域から集まる高等学校で、いよいよ馬脚を現す……。

いや、「馬脚を現す」というコトバは正しくない。「メッキがはがれる」の方が正しい。結果として中途半端な秀才クンは、自分が金ピカの脳味噌だと思っていたら、実は単にメッキされたものだったと気付かされる。それが高等学校時代。

私も1年の頃は低迷気味で、しかも共学だったのに、なぜか男子クラスだったこともあり、とってもマッタリ感があって、勉強もあんまりしまなかった。
麻雀が流行っていた頃で、医者の倅がミニ麻雀みたいなのを持ってきて(本格的な牌)、先生に取り上げられた。
で、それからはカード麻雀が流行った。いつでも隠せるようにと。友だちの家に休みの日に行って、朝から晩までやったりしましたな。

私のいた高校は、旧制第三中学で伝統がある。でも、神奈川県公立高校の中で当時のトップは湘南高校。湘南の方が後からできたのに、東大にバンバン送り込んでいるのが気に入らないといったムードが、校内にもあった。

で、我が母校のとった戦略は「理系では負けない」。
たしかに、理系分野の進学先だけでみると、湘南高校に競っていた。東大の理1、理2。あと東工大とか。互角とはいえないけれど競っていた。

その「理系では負けないムードづくり」のために、1年生から数学の教科書は、「数研出版のチャート式」だった。

クラスに「数学委員」というのがいて、授業前に先生のところに行き、前週に与えられた宿題を答える人を聞いてくる。指名された生徒は、授業が始まるまでに、黒板に解答を書いておく。

今考えると「数学版虎の穴」。そんなこともあり、高校時代は自然と数学が鍛えられた。中学時代に数学を好きになった私としては「渡りに舟」。そのため高校3年生で、学校も受験モードに入るのに、あえて「数学」を取ったりした。

高校の数学で得意だったのは「漸化式」。あの

1、2、3、5、8、13、21、34、・・・

みたいに続く数字の法則を見つけるヤツ。たしか高校時代唯一の「100点」を取った。しかも、受験とは全く関係のない3年生の時に。

ちなみに、上の答えは、

n=an-2n-1

でいいはず。

方程式とは、また一味違う「世の中の法則を見つける快感」みたいなのを覚えた。そして実際にテストの点もよかったから、また快感だった。

マーケティングリサーチの分析は、漸化式の考え方に似ていると気づくのは、もちろん今になってから。世の中に潜む一定の法則を考える。それを「勘」ではなく「理論」で説明する。漸化式こそ「数学界のマーケティング技法」だと思う。

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