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予備校時代

アンオフィシャルながら、「私の履歴書」に予備校時代を入れるのも珍しいかもしれません。
でも、予備校時代は、ホント勉強しました。
そしてそれが結果として表れたという意味で、自分の人生に大きな影響を与えた1年でした。

でもそんな理由だったら、ここに取り上げるでもない。
ちゃんと取り上げる理由はあります。

それは、「国語」に対する毛嫌いが、突然解消されたこと。

小学校、中学校くらいは、漢字を知っていたり、何となくの勢いで答えて、それで合っていたのですが、いざ大学受験となると、そうもいかない。
「論理的理解力」が求められます。
でも、自分の国語力は、そこで躓いていました。
おそらく、多くの国語嫌いの人と同様、「国語なんてのは、100人いれば100通りの理解がある」という言い訳の前に、バカの壁がそそり立っておりました。

でも、そうではないということを、代ゼミの堀木先生が教えてくれました。

「国語は数学と同じだ」

という発想で、教えてくれましたね。

「ある部分の答えは、文章の中に必ずある」
「裏返していえば、文章の中に答えのない問題は、絶対に作れない」

そう明確に教えてくれ、さらに推薦していた、一見難しそうな国語のテキスト(タイトル忘れてしまった。緑色の薄い教科書です)を読み解いてくれたことで、一気に国語が簡単に思えるようになった。

そして何より、今こうして、文章を書くのが苦にならないというのは、あの時の堀木先生の教えがあったから。

「国語は数学と同じ」

を、私なりに解釈した結果

「数学の方程式を作るように文章を書けばいい」

ということがわかったからです。

「1+1=2」みたいな文章だったら小学生でもわかる。
でも、それでは大人には認められない。
かといって、難解な微分方程式みたいな文章を書いても、誰にも理解されない。
理解されない文章ほど、寂しいものはありません。
だって、文章を書くのも、芸術的作業の1つですからね。
どんな短文でも、パワーはかかっています。

ちょっと難しい数式を解いた時と同じような快感が得られるような文章を書くことがポイントなのでは。
一見平易そうに見えて、でもよく読むと、「?」というポイントがある。
そこでもう1回読んでみると、だんだんわかってきて、さらにもう1回読むと、「!」と理解に至る。
自分はそう思って、文章を書いております。

堀木先生は、私が大学生の頃に、体調を崩され、亡くなったとの噂もありました。
堀木先生には、大学受験のためだけではなく、その後の「文章を書く面白さ」を教えてくれた意味でも、心から感謝しております。

高等学校時代

我々の世代の高校生といえば、昨今の「ゆとり世代」と真逆の、いわゆる「つめこみ世代」。
でも、当人たちは、つめこまれているなんて、全然思ってもいませんでした。
だって、それ以外経験していないんだから。

私は、あの頃の学歴社会を否定しません。
なぜなら、甲子園で全国優勝する価値と、模擬試験で全国1位になる価値が同じだと思っているから。

いや、それだけではありません。

もし、中学校を卒業して、大工になって、その世界では若くして棟梁になったりするヤツがいても、それもまた同じ価値。
日比谷高校から東大に入り、大蔵省に入ることがエライのではなくて、自分がコレと決めた分野で、日本一(か、それに等しい価値のもの)になれたヤツが凄いのだと思っております。

で、その「学歴甲子園」の荒波の中で、私はもう県予選でいっぱいいっぱいになりました。
これが学歴社会の恐ろしいところ。

正直いって、東大卒でなくとも、早稲田、慶応、上智あたりに入れる学力のあるヤツなら、小学校時代は学年でも秀才クンだったはず。
私もそうでした。

でも、中学校で、隣町の小学校のヤツらと一緒になり、徐々に順位が下がり、さらに広域から集まる高等学校で、いよいよ馬脚を現す・・・。

いや、「馬脚を現す」というコトバは正しくないかもしれない。
「メッキがはがれる」の方が正しいかも。

まあ、結果として中途半端な秀才クンは、自分が金ピカの脳味噌だと思っていたら、実は単にメッキされたものだったと気付く。
それが高等学校時代。

私も、1年の頃は低迷気味で、しかも共学だったのに、なぜか男子クラスだったこともあり、とってもマッタリ感があって、勉強もあんまりしませんでした。

麻雀が流行っていた頃で、医者の倅だったヤツが、ミニ麻雀みたいなのを持ってきて(本格的な牌ですよ)、先生に取り上げられていたな。
で、それからは、カード麻雀が流行ったりしました。
縦長のヤツで、13枚も持つから、手に余ってしょうがなかった。
友だちの家に休みの日に行って、朝から晩までやったりしましたな。

私のいた高校は、旧制第三中学と呼ばれた時代もあり、伝統がありました。
でも、神奈川県の公立高校のトップは湘南高校。
湘南の方が、あとからできたのに、東大にバンバン送り込んでいるのが気に入らないといったムードが、校内にありました。

で、我が母校のとった戦略は、「理系では負けない」。

たしかに、理系分野の進学先だけでみると、湘南高校に競っていました。
東大の理1、理2。
東工大とか。
互角とは申しませんが、競っていました。
でも、理3とか、慶応医学部なんてのは、ほとんどいなくて、理2とか、東工大の入りやすい学部で合格者数を稼いでいたのが事実。

その「理系では負けない」ムードのために、1年生から、数学の教科書は、「数研出版のチャート式」。
で、各クラスに「数学委員」というのがいて、授業前に先生のところに行き、前週に与えられた宿題を答える人を聞いてくる。
指名された生徒は、授業が始まるまでに、黒板に解答を書いておく・・・。

今考えると、「数学版虎の穴」ですな。
そんなこともあり、高校時代は、自然と数学が鍛えられました。

中学時代に数学を好きになった私としては「渡りに舟」。
そのため、高校3年生で、学校も受験モードに入るのに、あえて「数学」を取ったりしましたから。

高校の数学で、何しろ得意だったのは「漸化式」。
あの

1、2、3、5、8、13、21、34、・・・

みたいに続く数字の法則を見つけるヤツ。
これにハマった。
たしか、高校時代唯一の「100点」を取りましたな。
しかも、受験とは全く関係のない3年生の時に。

ちなみに、上の答えは、

n=an-2n-1

でいいのかな?

何かこう、方程式とは、また一味違う「世の中の法則を見つける快感」みたいなのを覚えた頃でした。
そして実際にテストの点もよかったから、また快感。

マーケティングリサーチの分析って、漸化式の考え方に似ていると思います。
世の中の意見に潜む、ある一定の法則を考える。
それを、「勘」ではなく、「理論」で説明する。

漸化式こそ、「数学界のマーケティング」かも知れません。

そんなこんなで、高等学校時代のことで、今の自分に役立っていることは「漸化式」。
これです。

中学校時代

中学生の頃というのは、単なる勉強が、受験勉強に変化する頃で、つまり勉強がつまらなくなる時期。
部活動なんてのもやるようになるから、なおさら勉強に対する興味は薄れて当然なのかもしれない。

だから、中学生時代の勉強の記憶は、正直いって、ほとんどありません。
高校受験に向けて、自分より成績のよかったK君が、ボールペンを使って、ひたすら教科書をノートに書き写していると聞いて、自分もせっせとマネをして、ボールペンをつぶしていったっけ。
そんな記憶くらいです。

授業時間の記憶はほとんどないのだが、強烈に印象に残っていることが、1つだけあります。
それは、中学2年生の時のこと。

担任の女の先生が、数学の先生でした。

その先生は、今思えば、「夫婦別姓」で、その頃はみんなガキだから、「ふーん、夫婦の仲が悪いんだね」なんて噂をしたりもした。
進歩的な考え方をした先生とわかるのは、もちろん大人になってからのことで、私を含め、クラスメートは担任と仲がよいとはいえませんでした。
担任が教えてくれると、他の先生よりも、和気藹々といった感じがするものだけど、その先生の数学の授業は、どこかよそよそしさがありました。

そんなある日の数学の授業で、テストがあった時のこと。
たしか、連立方程式のテストだったと思う。

テストは、授業時間内に終わるもので、その授業内で、さらに答え合わせもした。
そして、そのテスト用紙を、先生は回収していった。

「なんだよ、やっぱチェックすんのかよ」

みんな、そう思った。

当たり前ですな。
テストというのは、何歳になっても、あまり気持ちのよいものではないが、それが回収されず、教師に何点だったか、バレないのなら、これはありがたい。
通信簿に影響しないもんね。

ところが、担任の先生は、やっぱり回収した。

「やな先生! 性格悪!」

みんなそういっていた。

私の印象に残っているのは、その翌週の授業のこと。

先生がチェックした答案を、みんなに返した。
その頃は、だんだん勉強が苦痛になってきている時で、点数はあまりよくなかった。
だから、先生に点数をチェックされたのが、自分もとってもイヤだった。

全員に返し終わった後、先生が突然、私の答案のことを、みんなに話し始めた。

「みんな答え合わせをしたのに、どうしてちゃんと書き直さないの? ちゃんと直しているのは、富澤君だけだったよ」

自分としては、テストが終わったら、答え合わせを赤ボールペンでやるのが普通だった。
間違えたのはイヤだけど、それを修正するのも、復習として、とっても大切ですからね。
その時も、間違えてしまったところを、先生が教える正答に、赤ボールペンでせっせと書き直していた。
自分としては、特別なことをしているつもりは、全くなかった。

ところが、他の人は、そうではなかったみたい。

自分が何気にやっていたことを、先生に、それも1人だけ褒められたこと。
それが、ものすご~く嬉しかった。
点数は、たしか80点にも満たない、当時、アタマいい子ちゃんタイプだった私としては、不本意な点数だったけど、そんなことはどうでもいいと思うくらい嬉しかった。

そして、不思議なもので、それから、数学が好きになっていった。
その「事件」があってから、成績も徐々に回復軌道に乗っていったと思う。

アレがなかったら、たぶん希望の高校にも行けなかっただろうし、そうなると大学も違うはず。
となると、当然、入った会社も違うだろう。
いろいろな意味で、とっても画期的な事件だった。

そして、小学生の頃から、バリバリ文系型と思っていた自分が、「数学を好きになれたこと」は、データ分析屋として、実は極めて重要なことだった。
もちろんそのことに気付いたのは、つい最近のことだけど。

だから、担任のT先生には、今でも密かに感謝しております。

先生、今何をしているんだろうな。

(さらにつづく)

小学校時代

小学校時代、データ分析というものなど、知っているわけがない。
そもそも、そんな言葉すらあったのかどうか。

当たり前です。
それが昭和の小学生というものです。

ただこの頃、1つだけ、自分のデータ分析人生に、多大なる影響を与えた雑誌があります。

それは、「暮らしの手帖」。

オフクロが、これをよく買ってきていました。
自分も、毎号必ず読んでいたというわけでもないのだが、今でも鮮明に覚えている企画があります。
それは、

「トイレットペーパーの長さを測定する」

というもの。

そもそも、その頃の我が家は、まだ汲み取り式で、トイレットペーパーではなく、チリ紙を使っていたと思う。
だから、トイレットペーパーというもの自体に、欧米の匂いを感じていたのだが、その長さを測るとは、いったいどういうことなのかと、子供心に大いなる疑問を持った。

「暮らしの手帖」は、主婦が賢く暮らすための生活情報誌という定義でいいのでしょうか。
今だったら、当たり前にある主婦向け情報誌・情報番組の先駆けではないかと、自分は思っております。

ただ、その内容は、スポンサーに媚びへつらう昨今のマスコミと異なり、「事実は事実」と冷たく突き放す。
この潔さ、この冷酷さこそが、「暮らしの手帖」の持ち味であり、そして、データ分析の思想そのものではないかと思う。

たかがトイレットペーパーを、当時発売していた各社分取りそろえ、スペースを使って、ちゃんとその長さがあるのか測定する。
そして、50mとの表示なのに、何cm短いといったものは、誌上で実名をあげて晒す。
現代のマスコミには、到底考えられないジャーナリスト根性です。

この他、「掃除機の吸引力測定」や「洗濯機の洗浄力測定」みたいなものもあったような気がするけど、トイレットペーパーというシンプル極まりない商品を、厳密に調べるインパクトには、到底かなわない。

今、自分がデータ分析でメシを食っていけるのも、あの時、「暮らしの手帖」を読んでいたからであることは間違いない。
自分の中には、「暮らしの手帖」の血が流れていると、真剣に思っています。


(つづく)