統計は平和の象徴である

厚生労働省による未必の故意

まったくもってひどい話です。

不適切調査 15年ほど前から 厚労省「毎月勤労統計」 - FNN.jpプライムオンライン
厚労省の不適切統計、首相「統計の信頼失われる事態」|ニフティニュース

国の基幹統計とは、さまざまな政策を立案、実行するうえで、必要なもの。全数調査でやると決められているのであれば、そのとおりにやらないと意味がない。データの継続性の問題が出るということは、政策の継続性にも関わること。それを抽出調査に勝手に切り替えることの重大さを、厚労省の現場の方々は、全くわかっていなかった。当事者はいったいどういう処罰を受けるのか。

ナチスの調査統計

今、世の中には調査データが溢れています。マスコミの報道で、調査データが使われない日はないといってよいでしょう。インターネット調査の普及により、かつてより超低コストで実施できるようになったために、調査は日常的になりました。

そんな統計調査の歴史は、政治と無縁ではありません。手前味噌ながら、Kindle限定の拙著「マーケティングの着眼点25」に書いたものを引用しながら、その意義を説明していきたいと思います。

あのナチスは、統計調査を駆使していたことをご存知でしょうか。

為政者とともに発展してきた統計調査の最も悲しい歴史は、ナチスドイツの時代である。ナチスは、迫害していたユダヤ人の状況を把握するために、日本でいうところの国勢調査を実施した。それをパンチカードに入力し、コンピュータ企業に集計させた。その結果どうなったのかは、今さらここに詳しく書くまでもない。統計調査は悪用しようと思えばできるのである。
-「マーケティングの着眼点25」より

今ではなくなった「パンチカード」というシステム。それを使った効率的な集計システムは、ユダヤ人迫害に使われたのです。その集計を担当していたのは米IBMのドイツ子会社です。

「IBMとホロコースト」の著者、IBM初代社長ワトソンが設立に貢献した大学で講演(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース

IBMがナチスに加担していたことは明白な事実。彼らがナチスからの仕事を拒否していたら、ユダヤ人の大量虐殺はなかったかもしれません。迫害まではなくせなかったかもしれませんが、「大量の虐殺」はなかったといってよいでしょう。統計は、政治の効率化を促進するものでもありますから。

調査・統計は悪用しようと思えば、いくらでもできてしまう。データの改変も、デジタル化が進む以前から、ブラックボックスの部分が大きいので、メイキング(改ざん)しようと思えば、簡単にできてしまう。だから、担当する者は、高度なモラルが必要となる。たとえ薄給であろうとも、「それをやったらオシマイ」ということが、調査・統計のまわりにはたくさんあります。

不正選挙が一番コワい

イラクで、大統領選の得票率100%ということがあったのを、覚えていますでしょうか。サダム・フセインの時代です。

かつてのイラクでは、時の大統領の得票率が100%ということがあった。そんな数字がまやかしであることはいうまでもない。私の経験では、世界的に有名な飲料ブランドですら、「100%が知っている」ということはなかった。一定数以上を調べれば、やはり1人や2人は、例外的な人はいるものだ。
大統領の得票率が100%に達せんとする国で、もし反対票を投じようものなら、その人の将来はどうなるのだろうか。厳しい未来が待っていることだろう。でも、為政者を正しく選ぼうとする国では、そんなことを考える必要はない。そして、そのためには正しい統計調査ができなくてはならないのである。
-「マーケティングの着眼点25」より

日本で行われる選挙が、何事もなくできるのも統計のおかげです。

石原慎太郎は2003年に行われた東京都知事選挙において、都知事選史上最高の得票率70%を得て再選した。これだけの支持を得たからこそ、2005年に東京都立大学は「首都大学東京」となった。
この得票率を正しく出すためには、都内の有権者数を正確に把握していなければならない。有権者数を出すためには、総人口を正確に把握している必要がある。そんなこと当たり前だと思うだろう。日本に住んでいれば、蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば電気がつく。それを疑問に思う人はいない。それと同じように、有権者数の把握など至極当然と感じてしまう。
-「マーケティングの着眼点25」より

国や自治体が、正確に統計を行わねばならないというのは、こういうことです。
「命に関わるでもない勤労統計だからいいや」ですまされることではありません(現に数百億円規模の追加支出をせねばならないのですが)。他の重要な政策に関わる基幹統計も、こんな適当なことをやっていたら、いつか国家が誤った方向に進んでしまうかもしれない。それが一番コワい。

平和なくしてマーケティングなし

日本では当たり前に市場調査ができ、当たり前にマーケティング活動ができることに感謝しなければいけないのです。

世界の紛争地域ではそんな当たり前のことができない。仮に調べようとしても調査員の安全が確保できない。金目のものを持っていようものなら、身ぐるみはがれ命を落とす可能性だってある。
略奪、強盗、暴力、殺人が日常的に行われるのが戦場である。そんなところでマーケティング活動などやっている場合ではない。
-「マーケティングの着眼点25」より

No Peace, No Marketing.

平和なくして、マーケティングは存在しえないのである。
-「マーケティングの着眼点25」より

Google AdSense2

Google AdSense

   

 - 日記 , , , ,