闘争の倫理 日大アメフト部の罪

悪質すぎるタックル

NHKもトップで報じることとなった、日大アメフト部の悪質なプレー。

アメフトでは、こうしたことが起こりうるものですが、それは一連のプレーの中での話。プレーが完了し、無防備な状況で、しかも後ろから足元を狙うなどということは、絶対にありえません。

今回の問題が、さらに炎上しているのは、監督が一向に表に出てこないことか。

日大アメフト部“殺人タックル”監督いまだ雲隠れ… コーチも危険行為を念押し 選手は責任感じ退部意向 - zakzak

下記の言葉が本当であるなら、永久追放となってもやむを得ないでしょう。

日本大アメフト部監督 試合前に「1人つぶしてこい」と選手に指示か - ライブドアニュース

どのようなかたちで決着をみるのか、まもなく結果は出ると思いますが、ここではスポーツにおける闘争心のコントロールについて、早稲田大学ラグビー部の監督であり、日本代表の監督も務めた大西鐵之祐先生の言葉で考えてみたいと思います。

「闘争の倫理」という名著

自分が大学1年の時、当然保健体育の科目があるわけで、その抽選で通ったのが、大西鐵之祐先生の授業でした。その講義内容は、下記の本にまとめられております。

講義を録音したものを、そのまま載せているので、数十年前の授業の光景がありありと蘇ってきます。

当時大西先生の本は、なかなか売っていなかった。教科書もありませんでした。受講してだいぶたってから、「闘争の倫理」という本が出版されました。

2段組で400ページ近い大著なので、そもそも読むのが大変でしたが、それ以前に読んでも意味がさっぱりわからなかった。ラグビーをメインとしつつ、スポーツのあり方を検討しているのですが、「十牛図」を持ち出して宗教観を問うばかりか、核戦争をいかに抑えるかについても書かれている。二十歳そこそこの若造には荷が重い本でした。

二律背反の行動

大西先生は、自身の集大成となる「わがラグビー挑戦の半世紀」という本も出されているのですが、その一節にこんなことを書いています。

現在ではスポーツという一つの文化に、個人がどんな態度で、どんな心構えで対処するかによってスポーツの概念は違ってくるというのが妥当だと考えられてきた。概念論はさておきスポーツにはゲームが伴う。ゲームは闘争であり勝負を争う。これがほかの行動にない一つの特徴であり、人間が闘争行為をいかにしてコントロールするかを教育する唯一無二の教育的素材である。
(「わがラグビー挑戦の半世紀」P90。原文は、昭和56年「月刊ニラ」より)

ラグビーを通じて、若者の教育に貢献せんとしてきた大西鐵之祐の信念の一旦が垣間見える文章です。これに続く文章が、日大アメフト部の方々に噛み締めていただきたいところ。

あらゆるスポーツ種目は幾多の技術、体力、精神力を駆使して勝敗に挑む。この闘争の間に、こうしたら勝てるという行為が浮かぶ。それをやろうとする。いやまてその行為はきたない。しかしそれをやっても勝ちたい。いや絶対にやってはいかん。こうした二律背反の行動を正しく選抜し、正しい行動を行っていくこと、これが闘争の倫理把握の最も重要な行動である。よく平和平和と言われるが、この行為がいついかなる所でいかなる条件下でも行われることが平和本来の基本的条件である。スポーツはこれらをプレーヤー(人間)に把握させる唯一の教育手段であると言える。
(同)

スポーツの話から、突然「平和」という言葉が飛び出てくる。大西先生は、従軍時、南方戦線の駆り出され、厳しい体験をした。だからこその「平和」なのです。
闘争の倫理」という本は、この文章がきっかけになったのではないかと思っております。

フェアプレイには愛情が伴う

そして、「闘争の倫理」では、今回の一件にも通じることが書かれています。

戦法の面ではラグビーというゲームは限定された空間で戦いますから、汚い手を使えばいくらでも勝てる場合があります。相手にゲームをさせない汚い戦法です。その戦法を使ったら、ゲームはぶちこわしになる。それこそスポーツがスポーツでなくなります。行為の面ではゲームの展開でボールが自陣に蹴りこまれてコロコロところがっている。一方はそのボールめがけて身体ごとセイビングに入ろうとする。他方はそのボールを蹴ってさらに敵陣深く入ろうとする。その一瞬の双方の動きの中で、他方が球を蹴ろうとして相手の頭を蹴とばしたとしても、ルール上からは裁くことはできない。それをしないのは愛情だということです。
(「闘争の倫理」P369)

昨夏の高校野球での、打者の1塁駆け込み時に起きた足蹴りは、故意なのか、偶発的なのかを見極めることは難しい。それと同じこと。
また、少し前に、大相撲横綱のかちあげが問題になりました。あれはルールに反してはいないけれど、「横綱として品がない」ということが問題となった。
高校野球においても、大相撲の力士も、相手に愛情を持っていれば、あのような行動には出ないはずです。

もっとも日大選手による背後からのタックルは、これ以前の確信的行動と見られてますから、同列で語ることはできません。

戦争を起こさないための倫理

大西先生が、平和や愛情という考えに至ったきっかけは戦争にある。

それはやはり戦争のおかげで、戦争をやって植民地を見て、そしてこれは何とか若い者の考え方を正しく指導しなきゃならん。そうでなければ日本の国は滅びるという、そういう植民地政策を見た反省の結果ですね。
(「闘争の倫理」P346)

闘争心を倫理観をもってコントロールする。それができないとどうなるかというと「戦争」につながるということです。
どんな汚い手を使ってもいい。敵国を何人殺そうが勝てばいい。それが戦争です。日大アメフト部のやったことは、結果として「なんでもアリ」の戦争と同じこと。大げさにいえば、そういうことです。

しかも問題なのは、それをプロが金に目がくらんでやったことではなく、より高い倫理観が求められるべき大学スポーツで起きたこと。今回起きた悪質なプレーは、日本の平和を脅かす一端となるといったら、大げさに思われるかもしれませんが、これを野放しにしたら、スポーツそのものが崩壊します。

闘争の倫理」の新装版には、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが、推薦文を寄せております。

(Amazonサイトをキャプチャ)

その「はじめに」は、日本がなぜ太平洋戦争に突入したのか、簡潔ながら明瞭に書かれています。そしてこんな文章で締めくくられております。

われわれがいま持っている平和は、敗戦後の国際的な諸情勢によってもたらされたものであって、われわれの血を流して獲得したものではない。従って現在の国民の大部分は平和があたり前のように思っている。そして戦争などまさかと思っているであろう。昭和七年満州事変勃発から五年で戦争は始まっている。平和から戦争へ、そして暗黒の敗戦から四十年、命がけでつかみとったこの平和を守り切らなければならない。無意味な戦争に血を流すのなら、現在の貴重な平和を守るために命がけで戦う覚悟が必要であろう。
(「闘争の倫理」P5)

スポーツを楽しめるのも、平和があればこそ。日大アメフト部はいったいどうなるのでしょうか。どうするのでしょうか。

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