人は空を飛べるのか 「仙境異聞 勝五郎再生記聞」を読んで

天狗にさらわれた子供の話

突然twitterから火がつくことは、最近ではよくあること。しかし、伝統の岩波文庫が思わず重版をかけてしまい、おそらく再重版もかかっているとなると珍しい。

仙境異聞 勝五郎再生記聞」という本です。

ご覧の通り、マーケットプレイスでは未だ高値がついています。話題になってから、一時は6万円超えていたとか。だから手が出ない。それが重版となり、定価で買えるということで盛り上がっているわけです。

内容は天狗にさらわれた(本当は自ら修行のために連れて行ってもらった)少年・寅吉の話。これが千年も前のことであれば、眉に唾して読まねばならないけれど、江戸の末期のちょうど200年前のことであるのだから、心がときめいてくるというもの。しかも著者が、歴史で勉強した国学者・平田篤胤。信憑性はいかほどか。

きっかけとなったtwitterの流れは、togetterにまとめられております。

江戸時代に天狗にさらわれた人のお話が面白すぎて紹介された途端に価格高騰「天狗の仕業か」「めっちゃ読みたい」【追記あり】 - Togetter

これを読んだだけでも、だいたいの中身はわかるかと。

重版となった噂をもとに、大きな書店を何箇所かめぐったのですが、すでに売り切れ。版元である岩波書店が、先日オープンしたばかりの神保町ブックセンターに行ってみたものの、ここでも売り切れ。
やむなく、三省堂書店に行ってみたら、2冊ある(!)。速攻で買いました。

空を飛んだ役小角

実は、この「仙境異聞 勝五郎再生記聞」の人気が再燃する前から注目しておりました。なんでこんな本に興味を持っていたかというと、こちらの本を読んでから。

修験道の開祖と呼ばれる役小角(えんのおづぬ・役行者)について書かれた本です。役小角は634年の生まれ。乙巳の変(大化の改新)の頃です。奈良・葛城山中に籠もり、修行をすることで、さまざまな呪術を身に着けたといわれています。中でも有名なのは、空を飛んだということ。

常識的に(科学的に)考えれば、人間は空を飛べません。でも修験者ならそれが可能なのか? 本当に人間が空を飛んだのでしょうか。

例えば七冠馬ディープインパクトは、直線独走を始めると「飛んだ」と表現されました。


(武豊騎手の「飛んだ」発言は9分22秒あたり)

馬は、瞬間的には4本脚が大地を離れ、飛んでいる(ように見える)ことがある。人間も全力で走れば同じようになります。おそらく山中を自在に駆け回ったであろう役小角も、その速さゆえ、飛んでいるように見えただけなのか?

また、最近は「ウイングスーツ」と呼ばれる超危険なスポーツもあります。

修験者といえば、白いゆったりとした服を纏っている印象があるから、ウイングスーツのように飛ぶことも可能だったのか。

そんな役小角がどのように「飛んだ」のか知りたくて、こんな本を買ったのでした。ではそもそも、なぜ自分は人間が飛んだかどうかを知りたかったのか。それは、最後に書きます。

役小角は本当に飛んだのか?

役小角は神仙道を成就した。神仙道を成就するとどうなるかというと、「仙人」になります。
仙人の仙は、正しくは「僊」と書くそうで、その意味は、

軽やかに舞い上がる

とのこと。つまり仙人とは、空を飛ぶ人。事実、役小角は幽閉された伊豆の島を、夜ごと抜け出し、富士山まで飛んでいって修行をしたと「霊異記」に記されています。

ところで、仙人の中には、空を飛ぶために、

本当に翼が生えた

という人がいるとか。こうなると、いよいよ信じがたくなってきますし、進化学の問題にもなってきます。ただ、上等な仙人は翼など生えず、フワリと飛び上がったそうな。
かつて日本を騒がせたカルト教団の空中浮揚は、単なる胡座ジャンプにしか見えませんでしたが、仙人はそのままフワリと飛んだ。重力はどうなっているんだということになり、物理学も根本から見直さなくてはなりません。

ところで、人間が空を飛ぶのは、単なる夢想という考え方もできます。

旅に病んで夢は枯野を駆け巡る
(松尾芭蕉)

という句があるように、人間の脳はどんなことでも思い描くことができる。また、催眠術をかけられ、空を飛んでいるように思わされただけということも考えられます。
ただ後述の、寅吉の告白を考えると、単なる催眠状態とも思えません。

また神仙道を成就するためには、断食をはじめとした厳しい修行を経ねばならない。役小角は、「松の実や松葉のほか、さまざまな草根木皮だけを口にし」(役小角読本より引用、以下同)た結果、「肉はみるみるこそげ落ちて骨と皮ばかりになり、皮膚は艶と張りを失って、生きた亡霊のような姿になった」といわれています。
ただ、それを乗り越えると、「やがて古い細胞がこの山中での生活に適応する新しい細胞に切り替わり」、「それまでの痩せ衰えたみすぼらしい老人の肉体を脱ぎ捨てたあとに現れてきたのは、生気に満ちあふれた、若者のような瑞々しい肉体」になったのです。このあたり、昨今の断食ブームにも通じる話です。

ムダな肉が身体からなくなり、体重も相当軽くなったはず。だから飛べるというなら、体重の軽い子供は飛べることになってしまう。地球上に重力がある以上、人間が宙に浮くことは、どう考えてもありません。

そんな役小角の「飛行術」について記した一節に、寅吉の飛行体験も書かれている。だから、どうしてもこの本「仙境異聞 勝五郎再生記聞」を読みたかったのであります(この項、「役小角読本」を参考)。

異世界から来た寅吉に興味津々の江戸民

寅吉は江戸下谷七軒町の生まれ。翌日に火事が起きることや、父親の災難を予言していたというので、仙人につながる才覚があったのでしょう。
7歳の時、神社に来ていた怪しげな占い師に、その技を教えてもらおうとした。そんな寅吉を面白く思ったのか、占い師は寅吉を誘う。寅吉は占い師にしたがい、直径4寸といいますから10cmほどの壷に入った。次の瞬間、常陸国の南台丈という山の頂上にいた。

7歳ですから、今でいえば小学校1年生。いくら予知能力があったとしても、そこは子供。さんざん泣き喚いたので、その日はすぐに帰された。
当初は茨城の山と江戸を毎日のように行き来していたようです。しかし、次第に山にいる時間は長くなり、時には100日も山にいてから帰ることもあった。それでも家の人は騒がなかったというのは、寅吉が次男坊だったことや、時代だからなのでしょう。

11歳までそんな日々を過ごしたものの、12~13歳の間は、師匠がたまに江戸に来て、術を教えてもらっていた程度になった。そして寅吉の父親が亡くなった後、師匠がやってきて、母親には伊勢神宮に行ってくると嘘をついて、再び修行を始めた……というのが、寅吉の半生です。

異世界から来たと思われる寅吉に対し、平田篤胤をはじめとした江戸の知識人たちがさまざまな質問をぶつけ、寅吉はいちいち答えたというのが、「仙境異聞」の主な内容。
ところが、その大半は、今でいえばマスコミのくだらない質問とほとんど変わらない。「何を着ているのか?」「どんなものを食べていたのか?」から始まって、呪術は医術と思ったのか、「不妊に効くクスリはないか?」みたいな質問もあり、しまいには、下記のようなものまでありました。

いや、鼻毛はどうでもエエがな。
寅吉によると、師匠の鼻毛はかなり伸びていたらしく、髭に混じって、5、6本の鼻毛が生え出て、それをとても大切にしていたとか。鼻息にて寿命の長短がわかるということだそうです。鼻毛カッター使えませんな。

飛行術とは時空を超越することか

自分が知りたい飛行術については、結局のところ、「役小角読本」に引用されていたのがほとんどでした。つまり、「人間が空を飛べるか」ということについて、さしたる収穫は、この本からは得られませんでした。ガックリ。

ただ寅吉が、師匠とともに空を飛んだ体験は、極めて信憑性が高いと判断せざるを得ません。特に、高高度を飛んだと思われるこの一節。

さてしたたかに上に昇りては雨ふり風吹くこともなく、天気いと穏やかなるものなり。
(「仙境異聞 勝五郎再生記聞」P261)

地上でどれだけ雨風が強かろうと、雲の上に出れば、いつも快晴であることは、今や誰でも知っている。でも、200年前にそれを理解するには、それこそ富士山にでも登らないといけないでしょう。伊勢に行くことが、一生かけての大仕事だった時代、登山道も整備されていない3000m級の山に登ることは、少年ではまず無理でしょう。

寅吉は師匠とともに、宇宙にも行っている。月や太陽のことを語っています。こうなるといよいよ、非科学的というより、単なるホラ吹きということにもなりそうですが、別の観点からみると、空を飛ぶという技術は、物体が飛行することとは違うということも考えられます。

寅吉や師匠がいる山に、お宮様があり、そこに大勢の人が参詣に来るけれど、そういう時に仲間の天狗たちはどうやって身を隠しているのだという問に対する答えがこうです。

寅吉云はく、参詣の人が大勢来ても、別当が来ても、向ふより此方は見えず、此方大勢の目よりは向ふが見ゆるなり。我等があちらに在るほども、師のよしと声をかけざれば、見る事能はず。また下がれと声をかくれば、見ること能はず。其は常に師に伴はれて何処まで行くに、我が方よりは人々を見れども、人々は我等が傍らに来て居るとも知らず、我も今は人間に帰り来たれる故に、かく御目に掛かれども、今にも彼方に入りては、御側に来たり居ても、皆様は見給ふこと能はず。
(「仙境異聞 勝五郎再生記聞」P253)

向こうの世界にいる間は、基本的には人に見られることはない。自分たちは、そこにいる人が見える。
これはつまり

「異次元空間」

にいるということか?

物体として空中を浮揚しているのではなく、時空を超越しているのであれば、瞬時に移動していることも理解できる。また外国だろうが、宇宙だろうが、どこにでも行けることも納得できる。そして一方からは見え、一方からは見えないということもわかります。

仙人になるということは、三次元の世界を自由自在に過ごす術を身につけるのではなく、時空を超越することが可能になるということなのか……といのが、現時点での結論です。

伝説は今でも生まれる

ということで、仙人による飛行術をなぜ知りたいのかというと、例えば役小角という人が「空を飛んだ」ということは、誰かが実際にそれらしきものを見たか、もしくは「あの人ならそれくらいできるだろう」という妄想によるもののどちらかでしょう。
そして、これと同じことは現代でも起きる。

例えば、読売巨人軍を率いて9年連続日本一を達成した川上哲治は、打撃の神様と呼ばれた選手時代、練習を極めた時、

ボールが止まって見えた

という逸話が伝えられています。夏の暑い盛りの日だったらしいので、意識が朦朧としていただけではないかとも分析できますが、これもまた伝説です。

スポーツだけではなく、こんな「噂」もあります。
調味料の「味の素」の売上改善策として、ある社員が、「容器の穴を大きくすればいい」という提案をして、実際に売上が上がったということ。自分は小学生の頃、先生から聞いた記憶があります。
でもこれは真っ赤な嘘だそうです。味の素の現役社員に以前伺ったことがあります。
「いかにもありそうな話」に尾ひれがついて、伝説として広まっていったのでしょう。

このように伝説は、人物だけでなく、製品マーケティングにも有効な場合がある。むしろ、そうした伝説と呼ばれるような逸話のあるブランドは、後発ブランドが負かすことは容易ではありません。だから「伝説の成り立ち」を理解することは、マーケティングにも必ずや役立つのであります。

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