葉隠は現代に通じるビジネス書
「葉隠」という古書
佐賀藩に伝わる「葉隠」。いつぞや家族で近所の飲み屋に行った帰り、いつものようにいつもの本屋に立ち寄り、普段はあまり行かないコーナーで、上の方を眺めてみると、これがありました。
ハードカバーで箱入りなのに1800円(税別)というお手頃価格ということもあり、同じシリーズの「貞観政要」とともに、思わず買ってしまいました。
「葉隠」は拙著「泣く男」(略称)を書いた際に、少し勉強しました。
書いた内容は、「葉隠」を範とした「戦陣訓」を中心としていたため、ちょっと引用しただけ。なので改めてじっくりと読みました。
とはいえ、この本は、底本では1343項あるうちの120項あまりを抽出したダイジェスト版。ドラッカーの「マネジメント・ダイジェスト版」みたいなもの。だからサラッと読めます。
武士道と葉隠
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」
この一言が、第二次大戦下の日本の若者をどれだけ死に追いやったことか。
いや、若者だけではありません。当時は老若男女が勝手に「武士の末裔」と見做され、敵に追い詰められたら、潔く死を選べと強圧された。
なぜこんな言葉を引用した「戦陣訓」が、昭和の戦争に必要だったかといえば、大正時代がいかに平和だったかの裏返しでもあります。モボ・モガという言葉が流行ったように、大正から昭和初期にかけての日本はたいそういい時代だったようです。死んだジイさんも、よくそんなことを言っておりました。
そんな「腑抜けた若者」を戦地に駆り立てたものだから、兵隊としての心得を見失い、強盗・強姦を働く者が現れた。そのような若者を戒めるために戦陣訓は作られたそうです。
男性の女性化を嘆く葉隠
おもしろいことに……と書いてしまうと不謹慎かも知れませんが、改めて「葉隠」を読んでみると、時代背景は戦争に突入していった昭和の日本と、18世紀の佐賀藩は似ていたようです。そしてそれは、現代とも共通する。
徳川家による太平の世により、もはや戦乱もなく、武士が武士としての矜持を示す場面が減っていた。「刀」は飾りに過ぎず、稽古を怠る武士も多かった。その証拠に、「葉隠」には「男性の女性化を嘆く」という項もあります(項タイトルは編者である神子氏による)。
さては世が末に成り、男の気おとろへ、女同然に成り候事と存じ候。(中略)是に付けて今時の男を見るに、いかにも女脈にてこれあるべしと思はるるが多く、あれは男なりと見ゆるはまれなり。
(「葉隠」P72)
江戸時代も、昭和初期も、平成も同じ。「女装の男性」は今や珍しくもない。この共通点は何を意味しているのでしょうか。
「死ぬことと見つけたり」に続く文章
「武士道とは死ぬ事~」という部分だけ、あまりに有名になってしまったために、「葉隠」も多いにその内容が誤解されております。
「武士道とは死ぬ事と見付けたり」の後に、こんなことが書いてあります。
真に武士道を身につけるためには、毎朝毎夕、くり返し命を捨てた心持ちになる修行が大切である。このようにして、はじめて武士道が身につき、一生誤ることなく奉公をつくしおおせることができるのである。
(「葉隠」P50)
つまり、「死ぬこと」が大切なのではなく、「命を捨てた心持ち」になることが重要であるわけです。そしてその「心持ち」によって、奉公を尽くす。死んでしまったら、奉公も何もありません。
「死ぬ事」を、今風に解釈すれば、「私心を捨てよ」という意味ではないかと思います。己を殺して、他を活かす。利他の精神に通じるものが、本来の武士道精神なのかもしれません。
まるで昨今のビジネス書
「葉隠」には、次のような項もあります。
- 相手に応じた説得の仕方
- 主君に煙たがれること
- 成上がり者と軽蔑するな
- 上司との縁故はかえって損
- 見え過ぐる奉公人はわろし
- 老臣のひがみをなだめる
- 人材を得る方法
どうです、今のビジネス書に通じる項目がたくさんあります。これをもってしても、山本常朝・田代陳基が「葉隠」で言いたかったことが、単に「潔く死ね」などという安直なものではないことがご理解いただけるかと思います。
太平の世に、武家社会でどのように処世するかを書いた「葉隠」は、現代に通じるビジネス書なのであります。
ご興味をお持ちの方は、ぜひお読みください。今から200年前に書かれた内容とは思えず、微妙な気持ちになります……。