3.11の記憶
信号は消えた
あの日から5年。いろいろ思い出します。前にも似たようなことは書いたのですが、何度でも書いて、記録に残すことを優先しました。
そう、あの日も金曜日でした。
当時自宅にいた自分は、震度5強の大揺れにかなり焦った。焦ったけれど、揺れが収まってからは、平静を装っていた。
中学校の行事に参加していた妻が、子供と一緒に帰宅してきたのを窓から見ていて、
お~い!(*゚∀゚)ノシ
みたいに無邪気に手を振っていました。今考えると、大変恥ずかしい。
マンションから出て、広場に多くの人が集まっているのを見て、「おおげさだなぁ」と思っていたことを覚えております。
何しろ停電していたから、テレビも何も映らない。ケータイはまだガラケーだったから、情報をそこから得ようという気にはならなかった。
家族が合流し、マンション住民のどなたかが、ワンセグで津波が来ていることを知らせていた。でも現実味はなかった。
近所の信号は消えていたというのに。
歯医者に向かったあの日
あの日は、歯医者の予約があった。16時30分に。
カミさんは、「やってないんじゃない?」と行ったけど、「大丈夫だろ?」みたいに行ってみました。
実際に歯医者はやっていました。近くの壁が崩れたようで、先生はかなりビビっていたけど、治療はしてもらえました。
人間は理解できない被害に遭うと、事実を矮小化して、平静を装う。幸いにして、自分は二次災害に遭わなかったけれど、あの時の判断は間違っていた。もっと情報を収集して判断を下すべきでした。教訓です。
商品も消えた
スーパーの店頭から商品が消えた。
それほど切羽詰っているわけではないので、最後の1個に手は出しにくい。セブン&アイ鈴木会長が、「店頭を商品で常に埋め尽くせ」という理由が、この時ほどわかったことはありません。
以来、「最後の1個」に躊躇しないように心がけております。食卓のお皿に残った1カケとかにも。
ウルトラパワーの懐中電灯
そして、卒業式で浜松に向かい、大学に着いてみると、何事もなく動いている事実に愕然。「あぁ、先生こんにちは~」。そんな程度でした。
自分が阪神淡路大震災の時にとった態度も、たぶんこうだったのだろう。憤りを感じるとともに、反省いたしました。そして、人間は実際に被害に遭わないと、絶対に実感できないということも理解しました。
そして、大学近くのカインズで、これを購入。
片手にスッポリ入るほどの小型ながら、超絶パワーを誇る。100m先くらいなら、楽勝でピンスポットのように照らしてくれます。だから光源を直に見てはいけないし、人にぶつけてもいけない。レーザーと同じです。
暗闇の恐怖
なんでこんなハイパワー懐中電灯を買ったのかというと、それはもう暗闇に対する恐怖から。停電したマンションのロビーで、家族で食べたTopsのチョコケーキ。
停電ということで、冷蔵庫も止まっている。「悪くなっちゃう!」ということで、階段で上がって、取ってきて、食べました。お箸で。フォークとか気の利いたものまで持ってくるのを忘れたので。
以来、毎年この日に食べることにしておりましたが、今年は来週かな。お箸で食べることもセットです。
テレビで特集している東北の映像を見ると、復興はまだ道半ば。協力せねばならないのは、むしろこれからか。自分も微力ながら、何かできればと考えております。