原爆という史上最悪の実験
原爆の日
戦後70年ということで、年明けから太平洋戦争を振り返るさまざまな企画が続いております。
そして今日、広島に人類史上初めて原爆が投下された日を迎えた。
本日開幕の甲子園で、鳥羽高校主将が選手宣誓で、「8月6日」に言及してくれました。ただ、一方で原爆が投下された日を、きちんと覚えていない方も増えているようです。
広島原爆の日が、昭和20年8月6日であることを、広島在住の方の3割、長崎在住の方でも半数が知らないというのは、かなり驚き。
歴史を正しく認識しないことは、過去の教訓を活かそうとしないこと。安保法案以上に不安を感じます。
最新爆弾に対する熱い欲求
一瞬にして約14万人が殺された広島。この「約」とつくことが許せない。
正確には何人の方が亡くなったのかわからない。「14万人±α」としか表しようのない事実。人間はどこまで愚かなのか。
そしてその原爆は、戦争を終わらせる意図もあったのでしょうが、日本は度重なる空襲により、すでに壊滅的被害を受けていた。昭和20年8月初旬の時点で、もはや勝敗は決していた。そこに新型爆弾を使用する大義などなかった。
でもアメリカは、
完成した最新爆弾を使いたいという欲求
を抑えることができなかった。
爆撃調査という冷静さ
アメリカの何より恐ろしいところは、終戦のだいぶ前から、爆撃にどのような効果があったのか調査団を作り、検証していたこと。
漫画の世界のような独裁者が、思いつきで行動したのではない。その効果を測定することも踏まえた上で、エノラ・ゲイに出撃命令を出した。そして広島で約14万人、長崎で約7万4000人が殺された。
その調査団として、日本にも縁の深いJ・K・ガルブレイスは来日した。そして、広島・長崎などの惨状を目にするとともに、いち早く復興しようと懸命に生きる日本人の強さに感動したとか。
【ガルブレイスの教え】政府は目を覚ませ : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)
以来、ガルブレイスは核戦争の危険性を訴え続けた。
現実の戦争は、冷酷で非情で頭脳的。独裁者の一時的感情によって起こりうるものではない(それが現在ありうるのは、世界で唯一北朝鮮だけか?)。
だからこそ、我々も現状を冷静に判断しなければならない。感情的にばかり動いていては、どこかで道を誤る。
尖閣諸島だけでなく、竹島で、そして北方領土で起きていることは、すでに戦争ではないのか?
水源となる山林が買い占められていることは、資源戦争の端緒ではないのか?
繁華街を跋扈する勢力はどのようになっているのか。
そして、世界で唯一の被爆国が、今後なしうることは何なのか。常に考え続けねばならない。それが戦争によって命を奪われた方々に対する責務であることは、間違いありません。
2015/12/25