No Peace, No Marketing.

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ずっと揉めてきた集団的自衛権行使を容認するかどうか。いよいよ今日の閣議で決定する。日本の未来が大きく変わる瞬間。

何が問題かは、なんだかんだでこの新聞が一番わかりやすいのかも。

集団的自衛権ってどういうこと? | 朝日小学生新聞

戦争なんて、誰だってしたくないに決まっている。

日中戦争当時、「生きて虜囚の辱めを受けず」で知られる「戦陣訓」が軍隊に配布されたのは、大正デモクラシーに浮かれていた当時の若者が、戦地に送り込まれ、「目の前の敵を殺せ」と命令されるというあまりの精神的落差に動揺が走り、風紀が乱れたから。風紀が乱れたとは、要するに戦闘以外の場面における無用な略奪・殺人・強姦など。

戦国時代、国がいざ負ける時、駆り出されていた雑兵たちは、すたこらさっさと逃げたという。切腹したのは主君のみ。誰だって無駄死したくない。

人を殺すことに、平常心を保てる者など、今も昔もいない。「戦争が好き」なんていう者も、基本的にはいない。
もし「戦争が好き」という者がいるとしたら、それはおそらく最前線から遠く離れたところに身を置き、死ぬ可能性を感じていないからだろう。

その一方、昨日も日本の領土が侵犯されている。数日前には日本海にミサイルが撃ち込まれている。

中国公船2隻が領海侵入、尖閣沖 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
北朝鮮が弾道ミサイル発射 日本海に向け複数 - MSN産経ニュース

「集団的自衛権」以前に、目の前に迫る危機。「戦争反対」などというメッセージを理解してもらえる相手ばかりではない。
いざという時に誰が日本を守るのか。「アメリカさん、お願いします!」でミサイルを撃ち落とすことが可能なのか。

戦争論」で知られるカール・フォン・クラウゼヴィッツは、戦争というものについて、今なら別の観点からも問題になりそうなこんな言葉で論じている。

博愛主義者たちは、敵に必要以上の損傷を与えることなく巧妙に武装を解かせたり屈服させたりすることができ、それこそが戦争技術の求めてきた真の方向であると考えたがるだろう。なるほどこの説は、いかにももっともらしく見えはする。しかしわれわれはその誤りを断乎として粉砕しなければなるまい。なぜなら戦争とはそもそも危険なものであって、これを論ずるのに婦女子の情をもってするほど恐るべき誤りはないからである。
(「戦争論〈上〉 (中公文庫)」、P35)

自分の国はちゃんと守って欲しいけれど、仲間の国が攻められている時に、傍観することが許されるのか。「すみません、ウチはこういう主義なんで」という主張を認めてもらえるのか。

「戦わずして勝つ」ことこそ究極ですが、それが果たしてこれからの日本にできるのか。

いま仮に相闘う両者のうち、一方が何ものをも躊躇することなく、いかなる流血にもひるむことなくこの暴力を行使するとし、他方が優柔不断でよくこれをなし得ないとすれば、必ずや前者が優位に立つにちがいない。したがって後者もまた前者に暴力をもって対抗せざる得ないこととなり、その結果両者の暴力行使は交互に増長して際限のないものとなる。もしそこに何らかの限界があるとすれば、それは両者の間にある力の均衡によってのみもたらされるものにすぎない。
(「戦争論〈上〉 (中公文庫)」、P36)

平和を保つ数少ない可能性が、軍事力の均衡を保つことしかないのなら、日本が再び武力を持つ方向に進むことも十分にありうる。自民党の考える落とし所は、これでしょう。

マーケティングは平和な学問。軍事用語を元としていても、そこに血が流されることはない。

平和なくして、マーケティングなし。

マーケティングだけではない。平和を保つために、日本の「知」はどのように貢献できるのか。今一度冷静に考える時がきています。

 

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