十三日目: 和風居酒屋の進展


最近、和食の居酒屋、特に、刺身を中心に据えた居酒屋(魚民をはじめ)があちこちにオープンしています。これは、どういうことなのでしょう。どうして「刺身」なのでしょうか。そして、今後の運命やいかに。

ひとつは冷凍保存の技術が発達したからではないでしょうか。

日本では、冷凍技術はある程度のレベルまでは、とっくに達していますが、東南アジアやアフリカ、南米などの国でも、冷凍技術が発達し、安い人件費で大量の魚を、新鮮な状態で仕入れることが可能になったから、ではないかと思います。

もうひとつは、流通経路が簡素化されていること。
これは魚に限らずですが、いくつもの卸売を介さない店が増えたことで、安い魚が出回るようになったのだと思います。

では、なぜ居酒屋で「刺身」なのかというと、決定的な理由は、なかなか見つからないのですが、ひとつは、今まで「高い」と思われていた刺身を、安く食べることができるという、元々の固定観念からくる「お得感」ではないでしょうか。

同じ値段で、ソーセージや焼き鳥を食べるよりも、「刺身」を食べる方がお得な感じを持つと思います。であれば、「つぼ八」より「魚民」なのではないでしょうか。
また、元々和食を食べたいという人は、ある程度の割合がいて、ただその人達は今まで高かったから、なかなか和食系居酒屋に行けなかったのかもしれません。
しかし、和食系の安い居酒屋が出てきたので、単にそういった元々の和食層が流れてきたのではないでしょうか。

店側の視点でいうと、最近和民のようにレトルトや、冷凍モノを使わない居酒屋の形態が増えてきたせいではないかと思います。今までのように、冷凍モノであれば、特に調理の技術を必要とすることもなく、バイト君でもなんとかなりました。
しかし、最近は居酒屋でも味にこだわる人が増え、その結果、材料からある程度の調理ができる調理人を置くのが、普通になったのだと思います。
このように店の形態が変わってきたことで、バイト君では扱えなかった刺身などの和食系の料理が出せるようになったのではないでしょうか。

今後はある程度の数は、淘汰されると思いますが、刺身居酒屋は生き残るでしょう。一昔前のモツ鍋などと違い、刺身は流行りではありません。今まで価格が高い構造だったものが、変化したわけです。
日本人が、日本食を捨てない限り、廃れることはないでしょう。

生き残る店は、「味」と「新鮮さ」ではないでしょうか。価格は、ある程度安ければ、問題ないでしょう。
しかし、刺身は「味」や「新鮮さ」に、ごまかしがきかない食べ物ですので、安くても美味しくなければ、すぐに廃れます。

「魚や一丁」のように、学生相手に、量で勝負する以外は、少しでも新鮮な、美味しい刺身を出す店が生き残るでしょう。

冷凍技術と流通に関するところは、よいですね。たしかに、「産地直送」が言われるようになってきてから、店の主人が、直接、市場に買い出しに行くことが、当たり前のように考えられてきました(特に、テレビの特集番組では)。
こうなると、卸売業はきついですね。魚を見る目だけではなく、いかに安く届けられるか、という自己矛盾のようなテーマも解決しなくてはならないのですから。

日本人の刺身好きを語ることとともに、私が、最近疑問に感じることは、「このマグロの刺身は、本当にマグロなのか?」ということです。

テレビ東京のおかげで、「魚市場」や「魚業者」についての情報が、あからさまになるにつれ、その裏にあるいいかげんな部分も、白日のもとにさらされるようになってきています。
例えば、「銀だら」。あれを「名付けた」のが、市場の担当者(おやじ)で、その理由が、「白身でもあるし、タラの味に近いから」ということを知ったときには、愕然としました。これこそ、景品表示法だかの、「不当表示」にはあたるのではないのか、と。

市場関係者や水産庁や業者などが結束して、まだ知られていない「おいしい魚を日本で売る」ことを、地道に努力しているみたいです。その、最たる成果が「銀だら」です。
要するに、日本の消費者が、魚を買う理由は、「名前」なのではなく、「それっぽい味」(=何かの味に似ているということ)で、「おいしければいい」のです、本名は何でも。ここまで割り切っていいのか、と言いたくなるくらいの割り切り方です。日本人を馬鹿にしている、と怒る人がもっといてもいいような気もするのですが、そのような人に、所詮、「黒マグロ」は買えないのでしょう。

このように考えてくると、スーパーの刺身コーナーも、最近充実してきていることに気付くでしょう。
ただ、スーパーは表示関係にはうるさいですから、きちんと、さりげなく、賢い消費者ならわかってくれるように、「真鯛」と「タイ」をきちんと分けて、表示しています。
「白身の魚」なんて、本当に、「あなたは何物?」と聞きたくなるくらい、種類が豊富です(しかも、ハマチよりおいしかったりもする)。

今の、このような「歪んだ魚文化」を支えているものこそ、日本人の中流意識(中の上意識)なのではないでしょうか。
大トロは食べられなくても、「大トロに近い味の刺身なら、こんなに安く食べられる」という見栄。こうなってくると、日本人の舌が肥えているのか、全くの味音痴なのか、理解に苦しみます。妥協の産物のような「魚文化」が、はたして、いつまでも続くものなのでしょうか。

そして、刺身居酒屋です。「新鮮な刺身を出せるようになった」ことが、最大の要因であることに間違いありませんが、仮に、今自分が食べている刺身が、マグロではなく、「名も知らぬ深海魚」だと知ったら、そのとき、若者はどう判断するのでしょうか。「おいしければいいじゃん」なのか、「だまされていたのか」なのか。あなたは、どう思いますか。

 

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