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1999年4月8日付の日経に、「統一ブランドの日本酒」「地場メーカー十社が参画」「中身はオリジナル」という記事がありました。なぜ、このようなものを発売したのでしょうか?
どの業界でも言える事ではあるが、小さな企業は、せっかくよい商品を作っていても、それを広報する手段を持たないために、安定的にモノが売れない。
日本酒においても、たまたま「幻のなんとか」などど、テレビやマンガなどで取り上げられれば、小さな酒蔵でも、認知率の高い銘柄を出すことはできるが、大多数は、ブランドの確立や売上向上など、ままならないのが現状だろう。
その小さな酒蔵が、売上を伸ばす手段として、集まって作ったのが「統一ブランド」ということではないだろうか。
農協の果実や、野菜などのブランドと近いと考えていいかもしれない。ひとつの農家が、どんなに優れた野菜や果物を作っても、売上拡大はたかが知れているが、「博多とよのか」とか「魚沼コシヒカリ」とか、ブランドを確立して一緒に売ることによって、いちごや米そのものは変わらなくても、認知を高め、売上を伸ばすことができる。
ただ、農協の野菜や果物と、大きく違う点も考えられる。それは「味」の差別化ではないだろうか。
野菜や果物は、基本的にひとつのブランドで売る以上、均質な味にしなければならず、そのための生産過程における農協側の指導や指示は、非常に厳しいものと聞いている。
日本酒は、その酒蔵自体が、長年培養してきた「菌」でできるものであるから、違う酒蔵に均質を指導するのは困難であろう。そこで「中身はオリジナル」なのではないか。
詳しい話は実は知らないのだが、同じ銘柄である以上、材料や製法は、たぶん統一するのだと思う。しかし、菌はもちろん、その他のやり方も、酒蔵独自のやり方に任せるということではなかろうか。
であれば、うれしいのは酒を飲む消費者だろう。基本的に、その酒がおいしいということが前提となるが、なにせ同じ酒なのに、味が10種類あるわけだ。ブランドが認知されてくれば、一種の遊び感覚でその銘柄を買うことになるだろう。
なにより、いつ飲んでも違う味なら飽きない。中には10種類制覇するまで飲みつづけるマニアなども出てくるのではないか。
何か想像だけが、どんどん膨らんでいってしまったが、ブランドを確立することで認知を深め、小さな酒蔵でも売上を伸ばせること、「中身はオリジナル」の面白さや話題性、味に飽きないこと、「10社が参画」したことによる品質などの競争意識が生まれること、などがポイントではないだろうか。

これは、茅ヶ崎の「酒卸業者」がコーディネートした企画です。この業者は、何を意識して、地酒10社をコーディネートしたのでしょうか。
ここからは、私の全くの想像です。全然違うかも知れません。
よく、「問題」を読んでみると(新聞の見出しですが)、ここには見事なまでの三段論法が見て取れます。
まず、「統一ブランドの日本酒」。ここには、この業者の、「全国制覇」に対する野望があったのではないでしょうか。おそらく、大手業者から疎んじられたり、イヤな思いもしたりして、「やはり自社ブランドを持たなければ、商売はうまいこといかん」と悩んでいたのでしょう。だから、自分で企画して、全国統一の(しかも)強力な自社ブランドがあれば、メーカーにも強気に出られる、と。
そして、「地場メーカー10社」です。
今、普通の人が飲みたい日本酒といって想起するのは、おそらく「地酒」でしょう。このご時世に、「大関!」とか、「月桂冠!」などのブランドを、居酒屋で自信を持って注文している人を、私は見たことがありません。したり顔で、「久保田の萬寿…」という奴は、ゴマンといますが。だから、目指すべきは酒蔵です。
おそらく、この茅ヶ崎の酒卸の社長は、「地酒」という(広義の)ブランド力が欲しかったのでしょう。で、酒に詳しい自分としてみると、「久保田」も好きだけれど、「菊水」も好き、でも、「住吉」も好き、というように、どこの酒蔵と提携してよいか、相当悩んだはずです。
そして、実際に営業提携を図るために、著名な酒蔵に声をかけたのですが、「うちは、そこまで困っておりまへん」と、アッサリ断られてしまった。
そこで開き直った社長は、「えーい、どうせならマルチクライアントだ」と、あちこちの中小酒蔵(メーカー)に声をかけました。そうしたら乗ってきました、あっという間に十社が参画することになりました。
さあ、ここからがもっと問題です。
会社経営として、問題がある中小酒蔵が集まったのですが、それぞれ、酒については、確固たる持論があり、一歩も譲りません。「酒は、やっぱり辛口の大吟醸だ」「いやいや、純米酒こそ酒の王道だ」「何を馬鹿な。酒は、にごり酒こそ、日本古来の酒に決まっている」などなど。
社長も後悔したことでしょう、自分の立てた企画とはいえ、こんなに面倒なことになるとは。とても、ひとつの味覚に集約することなど、できそうにもありません。
そこで、慶應義塾大学の湘南キャンパスが近くにあるため、マーケティングにも関心の高い社長は、はたと思いつきました。「ま、中味はいいか。要はブランドだ」と。
社長は、各酒蔵の杜氏を前に言います、「えー、味は、皆さんのこれだと思うものを作ってください。それを、統一のブランドとして売り出します」。
社長は、「これこそマーケティングだ」と自分に酔いしれます。何しろ、売れなかった酒については、「切って」しまい、新たに別な酒を、そのブランドで売ればいいんですから。これこそ、「競争原理」です。
★「競争原理」は、詳しく説明しなくてもよいでしょう。最近では、競争させることによって、コストを削減したりすることがほとんどみたいですが。
では、「地酒」はなぜ、いまだに飲まれているのでしょうか。それは、「ローカル感」でしょう。そして、「ローカル感」が生み出す「新鮮感」も重要な意味を持っています。
その一方で、規制緩和の目玉となっていた「地ビール」は、最近ではあまり取り上げられることもなくなりました。ただ、「独歩」「銀河高原ビール」などは、ファミレスなどのルートも開拓し、東京にいながらにして、飲むこともできます。今、テレビで、銀河高原ビールのCMをやっていました。
でも、これはどういうことなのでしょう。地ビールは、そのご当地で飲むからこそ意味がある。ビールは鮮度、これは間違いありません。古くなったビールは、やはりまずいです。だから、東京を目指してきた地ビールは、ナショナルブランドと変わらないブランドになってしまうことにもなります。
つまり、地ビールは、ナショナルブランドの後追いをするかぎり、本末転倒になっているわけです。
そこで、件の地酒マルチクライアントです。このように考えてみると、弱小企業救済以前に、消費者が果たして、どこに魅力を感じて飲めばよいのか、今一つ見えてきません。冷静に考えてみても、「10種類あることの面白さ」以外に、魅力はないでしょう。日本酒の魅力は、「大量生産」とは、全く正反対のところにあるわけです。
つまり、その年ごとに、微妙な味の違う、おいしいお酒ができるという、ナショナルブランドのビールでは、到底味わえない、むしろワインに近い魅力があります。
だから、この企画は、統一ブランドを考えた時点で、すでに話題性以外に売れる理由は全くないでしょう。しかも、普通の酒飲みならば、「久保田」などの、有名でかつ評判もよいブランドと比較するわけですから、せいぜい大手居酒屋チェーンの客寄せ企画に使われるのがいいところでしょう。
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